公職者(議員など)の立場で山本太郎直訴をどう捉えるべきか-やっぱり議員辞職勧告はやりすぎ


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前記事では山本太郎氏批判の論拠が今一つわからなかったため、タイムライン上の批判の論拠を拾い集めてまとめ、それでも議員辞職勧告がやりすぎであることを記しました。だいたい以下の論点でした。

  • 天皇を政治利用した。
  • 天皇の政治利用は憲法で禁止されているから、山本太郎氏は憲法を犯した。
  • 天皇への直訴は「請願法違反」にあたる。山本太郎氏は法律を犯した。
  • 園遊会のマナー違反。
  • 天皇に直訴などケシカラン。
  • 山本太郎が嫌いだ。
  • 国会議員には国政に直接参加する権限が与えられているのだから、直訴はおかしい

これらについては、前の記事(山本太郎氏が天皇陛下に手紙を手渡したことの、何が(そんなに)問題なのかよくわからない)をご覧ください。

今回、上記以外の新たな主張について触れてみました。

山本太郎氏の行動を支持するわけではないですが、議員辞職を求めるほどのことか疑問だというのが趣旨です。
もういったんこれで区切りを付けたつもりでしたが、追記することにしました。

皆さまのお考えを整理する上で少しでも役に立てれば。

公職者(議員など)の立場で山本太郎直訴をどう捉えるべきか

ある著名な公職者(自治体首長)のツイートを読んでいて、少し気になりました。概ね以下の主張でした。

山本太郎の行動は、日本の民主主義を基調とする制度の否定につながる。なぜなら、天皇に何か問題を解決してくれと頼んだわけだから。せっかく憲法で天皇の権能を制約しているのに、国民主権の代表者がこれを破るように進めたわけだ。
選んでくれた国民に対する裏切り行為だ。

なるほど、確かに一理あると思います。国会議員・山本太郎氏の直訴は、日本の政治体制の根幹思想である「国民主権」をないがしろにする行為ということだと私は理解します。
恐らく、「民主主義の否定だ」と主張する多くの方は、このことを言っているのではないかと思います。

確かに、国民から選ばれた議員や首長などの政治家は、この制度によって国民の負託を受け、責任を負っているわけですので、この価値観をこそ大事にしなければならない立場です。
この問題を大きく捉えて、山本太郎氏を批判することは理解できます。立場上許すわけにもいかない。

参考までに付け加えると、この公職者は、山本太郎氏が辞任すべきかどうかには言及しておらず、本人が考えて決めること、としています。
(辞めるに相当するほどの大問題だと思っているかと問えば、「yes」なのだろうと文脈から読み取れますが)

民主主義のルールを守るのは大事。制裁もルールに則って。

民主主義の思想に反した行為といえばその通りと言えると思います。国会議員でありながら。(実は日本特有の歴史を踏まえると、そうとも言えないという主張もあり得ますが、今は触れません)

ですが、仮にそうであったとしても、彼に制裁を科すべきかどうかは別問題だと思います。

民主主義制度の中には、予めルールを決め、それに従って物事を決めたり権力を行使する、ということも含まれます。民主主義を支える重要な要素です。公平性の担保のために。予め皆で話し合ってルールを決めていれば、文句の言いようがないですね。
(余談ですが、ルール策定や権力行使のプロセスの透明化も、民主主義の根幹をなすものです。検証可能なように権力が行使されたかチェックできることです。特定機密法案は法案の中身次第ではこれをないがしろにしてしまう可能性があります。)

いま、天皇に直訴したらダメという法令はありません。当然罰則もない。事前に取り決めたルールがないので彼を裁くことはできないのです

モラルの問題と言うことで、事後的にルールを作って裁いてしまうことは、民主主義の思想に反します。
民主主義的思想に基づくなら、せいぜい「次から気をつけろよ」と注意しておいて、今後同じことが起こらぬようルール化するなどの歯止め措置を講じる。このプロセスを踏むだけだではないでしょうか。

民主主義のルールを犯した罪は、民主主義的な考え方によってのみ、裁かれるべきです。そうでないと、何のための民主主義かわからなくなる。民主主義を守るためには民主主義に則らなくてもよい、というのは成り立たないでしょう。
タテマエの問題は、そのタテマエに則って、タテマエ的にケリを付ける以外に方法はないというわけです。

ルール上(タテマエ上)で言えば、彼は参議院選挙で当選し職を得て、その職を失うのは、自ら辞職するか、次の選挙で落選するときです。

次ページ:参議院の「辞職勧告決議案」は決議してはならない


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